評価制度

人事評価とは何か①
~評価制度の変遷【年功主義】~

評価制度を見直す際に、特に総人件費のコントロール、あるいは、あるべき人材マネジメントは?という観点から、年功主義の「罪」だけでなく「功」を改めて振り返ってみる必要があります。

  • 「人事評価」は「経営課題」の変遷とともに変わってきた
  • 長年頑張って働いてくれる人に報いる ~年功主義~
  • 総人件費の削減に役立った年功主義
  • 本当は「生ぬるくない」年功主義の人材マネジメント

「人事評価」は「経営課題」の変遷とともに変わってきた

「人事評価」は「人材マネジメント」の手段のひとつです。
ですからどのような考え方で人をマネジメントするかにより、その手段である「人事評価」も変わってきます。またどのような考え方で人をマネジメントするかは、当然その時々の「経営課題」の影響を受けます。

つまり、「経営課題」が変わると、「人材マネジメントの基本的な考え方」が変わり、「人材マネジメントの基本的な考え方」が変わると、「人事評価」も変わると言えます。

多くの方がご存知のように戦後の我が国の「人材マネジメントの基本的な考え方」は、

「年功主義」→「能力主義」→「成果主義」

という風に変遷してきました。
この「人材マネジメントの基本的な考え方」の変遷の裏には、その時々の解決すべき「経営課題」がありました。例えば「大量生産」が経営課題であれば、その課題解決策として「年功主義」が「人材マネジメントの基本的な考え方」として採用され、その実現手段として、勤続年数や年齢を評価する人事評価制度が採用されたわけです。

昨今、評価制度の見直しが叫ばれていますが、「人事評価」の変遷とその背景にあった「経営課題」、課題解決に必要だった当時の「人材マネジメントの基本的な考え方」を振り返ることで、今後自社の評価制度のどこをどう見直すかのヒントが見つかるのではないでしょうか?

なぜなら、このように過去の「人事評価」の変遷を「経営課題」の変遷とセットで振り返ることで、自社の今後の「経営課題」は何か?その達成ための自社の「人材マネジメントの基本的な考え方」は何か?そしてそれを促す「人事評価制度」にするために、現在の制度のどこをどう変えるのか?あるいは変えないのか?が見えてくるはずだからです。

ところが、そうではなく「年功主義」→「能力主義」→「成果主義」という人材マネジメントの基本的な考え方の変遷を、「評価制度の進化の過程」と受け止めてしまうと、今後の自社の評価制度見直しのヒントにはなりません。

なぜなら、そう考えてしまうと、「成果主義」が最もすぐれた人材マネジメントの基本的な考え方となり、すべての会社が成果主義で評価を行えば人材マネジメントがうまくいくということになってしまうからです。

確かに、「年功主義」→「能力主義」→「成果主義」という変遷の中で、評価制度の進化が無かったわけではありません。しかし、最新のもの、つまり成果主義を導入すれば万事上手くいくという事が、評価制度を見直すということとイコールではありません。

少しオーバーな言い方をすれば自社の「経営課題」によっては、「能力主義」という、70年代のオイルショックの頃に生まれた「人材マネジメントの基本的な考え方」に基づく「人事評価制度」が我が社には必要だという場合もあるかもしれません。

よって、評価制度の見直しを図るときにこそ、「年功主義」「能力主義」「成果主義」の3つを、それぞれの背景にあった経営課題とセットで、振り返っておくことが重要なのです。

長年頑張って働いてくれる人に報いる ~年功主義~

年功主義の背景にあった経営課題は「大量生産」「大量販売」を成し遂げるための「大量人員確保」です。なぜ「大量生産」を成し遂げなければならなかったか?というと、それは「高度成長期」という経済発展があったからです。

1965年から数年続いた「いざなぎ景気」は戦後最大の好景気と言われ、そのころの日本の企業の大半は「年功主義」を人材マネジメントの基本としていたと言ってほぼ間違いないと思われます。

1000人の新卒が入社、そのうちの990人が数年後に係長に昇進、また昇進後数年するとその係長990人のうち980人全員が課長に昇進するということが、今ではともかく、当時はその「大量人員確保」という経営課題達成のために、当たり前に行われていたのです。

需要も販売も、生産も業績も、すべてが長期に渡って伸びていく前提であれば、可能なモデルであり、しかも今のような高齢化社会ではなく、「若い働き手」の数が多かったのも、年功主義の実現を、後押しした要因のひとつです。

総人件費の削減に役立った年功主義

現在では「年功主義で高くなってしまった総人件費をどう削減するか?」という目的で、成果主義を導入しようという企業が多くあります。

逆に、もし高度成長期に年功主義でなく成果主義であったらどうなっていたか?と考えてみると、「成果」を上げれば「高報酬」になるので「若い働き手」でも「高給取り」が生まれたであろうことは、容易に想像できます。そう考えると今の時代とはまったく逆で、「年功主義」であったからこそ総人件費が削減できていたと、またコントロールできていたとも言えます。

本当は「生ぬるくない」年功主義の人材マネジメント

年功主義はとかく、「皆で手を繋いで・・・のぬるま湯の人材マネジメント」と言われますが、本当はその逆です。

成果主義であれば成果を上げればいったん同期に差を開けられたとしても、リベンジして追い越すことも可能なものの、年功主義では同期と一緒に係長や課長になれなかった人は、2度と同期に追いつくことは出来ないという厳しさがあります。

しかもほとんど格差がつかない人材マネジメントの中では、逆に同期とのちょっとした差でも気になるものです。そうならないように、つまり「惨めな思いをしたくないので、もっとがんばるしかない」という緊張感を年中強いる、厳しい人材マネジメントでもあるのが、年功主義なのです。

今では当たり前の評価の「フィードバック」も当時は一般的なものではありませんでした(「フィードバック」しても同期はみな同じ評価なので意味はなかったからもしれません)。むしろ制度として「フィードバック」をしなければ、「自分の知らない間に落ちこぼれの評価がついているかもしれない」という心理を常に持たせることが可能となり、さらに社員に常時緊張感を持たせ、その成長を促すという理由で、フィードバックを敢えてしなかったとも言えます。

バブル崩壊後、人材マネジメントへの、成果主義の導入の過程で、激しい年功主義へのバッシングが起きました。それでも現在、「年功主義的要素」は人材マネジメントの中に、脈々と生き続けています。「存在するものにはすべて存在するだけの意味がある」と言われる所以です。

評価制度を見直す際に、総人件費、あるいは人材マネジメントという観点から、年功主義の「功」と「罪」を改めて振り返ってみることは、必ず新たな発見を生み、改定のヒントになるかもしれません。

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